八尾空港2

2023年2月20日 | admin

おはようございます
インフルエンザの流行
寒暖の差が激しい毎日、雨もあり
気圧の変化もあります
皆様、体調はいかがですか?
今日は前回の続きです
八尾空港の歴史は、
1938年(昭和13年)
開校の阪神飛行学校に始まります
操縦士の育成を目的とした
民間学校でしたが
開校後わずか2年で軍備増強を理由に、
陸軍によって
専用飛行場「大正飛行場」として接収されます
このとき
敷地拡張のため陸軍は周辺の土地を
強制的に買収したのですが
そのやり方はとても強引で、
有無を言わせないものだったそうです。
戦争中、飛行場周辺は
格好の攻撃目標となり
たびたび攻撃を受けたため
「掩体壕(えんたいごう)」
が建設されました。
掩体壕とは
コンクリートでつくられた
飛行機用の防空壕のことです。
数多く建設されたもののうちのひとつが
今も垣内地区に残っています。
戦後の占領期には
「阪神飛行場」と呼ばれていましたが
日本政府に返還された後
「八尾飛行場」と改称されました。
その後、1961年(昭和36年)に空港整備法により
第2種空港の指定を受け、今に至っています。
現在、八尾空港では
民間航空会社が航空写真撮影、
取材報道、遊覧飛行、操縦訓練、
宣伝広告などを行っています
また、陸上自衛隊
大阪府警察航空隊などが常駐し
災害発生時の援助基地として
重要な役割を担っています
*参考
語り継ぐ市民のための八尾の歴史
八尾の戦争体験
戦争遺跡を訪ねて(八)
大阪陸軍航空廠(大正飛行場)
(河内どんこう86
大正飛行場
民衆を守れなかった「防空」飛行場(上)
(河内どんこう71
私たちの街にも戦争があった

八尾市の掩体壕